もごもごしたってええやんね。

関西在住の新婚主婦が、夫とのやりとりや日常をもがもが書いています。最近は外出自粛している為、ほぼ食べ物について書いています。

会社を辞めた日、最後のお弁当。

今週のお題「カメラロールから1枚」

お題で文章を書くのは初めてな、ごもも です。

(書き方これで合ってるんかな。)

 

カメラロールから1枚、といっても最近の写真ではなくて、昨年12月に撮ったもの。

 

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母、最後のお弁当。

 

昨年12月、私は新卒で入社してからずっと勤めてきた会社を退職した。

少し、昔のことを振りかえってみたいと思う。

 

大学3年の就活シーズン。

私は特に他人様よりも秀でていることもなく、また、とりたててやりたいこともなく。

といった平々凡々極まりない体で、今思えば大層ぼんやりしていたのだが

それでもなんとか縁あって内定をもらった会社に勤めることを決めた。

(私に内定をくれた初めての会社ということもあるが、

それ以上に、このまま就活を続けても他に内定をくれる会社はないだろうな…

という悲しい実情もあった)

早々に内定承諾したため、残りの大学生活は卒論と部活とバイトに明け暮れる日々。

 

そして、大学を卒業して4月。

社員数はさほど多くない、全員の顔と名前が一致する規模感の会社で

私の社会人生活はスタートした。

いうたかてデスクワークの仕事やし、楽勝やろ、と高をくくっていた私だったけど、

すぐに現実を突きつけられる。

 

 

…なにこれ、しんどいぞ!

 

そりゃそうだ、毎日次々に新しいことを覚えないといけないし

早く出勤して掃除しないといけないし、見えざるルールがあるし、

誰が何の役職かわからないし、電話は相手の言うことが聞き取れないし、

コピーの仕方わからないし!!?

と、大した仕事はしていないのだが、常に緊張しているせいで無駄に疲弊する。

 

そんな勤務時間において、唯一の癒しになるはずだった

昼休憩、これがまた地獄だった。

昼12時になると休憩室に各自昼食を持って行って食べるのだが、

そこに集う諸先輩方が、食べる間終始無言なのだ。

食事のマナー的にも、最近提唱された「新しい生活様式」的にも

正しいっちゃ正しいのだが、とにかく気まずい。

 

同期と何か話そうものなら、その静寂を破ることになるし、

何より会話の内容がフル筒抜けになるので

「あの先輩ちょっと厳しくね?」やら「午前中、ミスって怒られたわ…」

なんて愚痴も当然言えないのだ。

 

あまりの緊張感になかなかご飯が喉を通らない…

という話を母にすると、

「お弁当じゃなくて、パンとスープとか、もっと簡単に食べられる方がいいよね。」

と、スーパーで買ったパン1個と、カップスープを持たせてもらうようになった。

 

私はずっと実家暮らしで、母は働いていたので忙しかったのだけど

いつも私のために全く手間を惜しまず、私の身の回りのことを全部面倒をみてくれて、

私は私で、いつも甘えている実感なく甘えきっていた。

 

母に持たせてもらうパンをなんとかスープで流し込む日々も

時間が経つにつれて、平然と食べられるように変わり、

ついぞ研修が終わって配属先が決まった。

 

私の配属先には、いわばお局様、ともいうべきか

いや、そんな古典的悪口な呼称は失礼にあたるので

ここでは”つぼねっち”と呼ばせていただくけれども、

つぼねっちの巣窟だった。

 

配属が発表された後、他部署の先輩から

「大丈夫…?(小声)」と言われてしまうほど、

会社の中ではもう通念としてそのヤバさが知れ渡っている難攻不落のダンジョン。

配属された者は次々に辞めていく。

そんな死地に向かうことが決まってしまったのだ。

 

つぼねっちとの仕事が始まって2週間ほどで

私はその恐ろしさを痛感することになる。

 

仕事のやり方を聞いても教えてもらえない。

話しかけると無視されるか、あるいは嫌味を言われるので

出来るだけ聞かずに済ませたいのだけど、

いかんせん新人なもので聞かずに済ませられることがほとんどない…と

完全にドツボにハマってしまったのだ。

 

 

挙句、嘘をついていないのに「嘘つき!!」とフロア全員に聞こえる声で

叫ばれたりして、情けないけどこっそり応接室で泣くなど、

入社当初とは別の理由でまたパンとスープが喉を通らなくなった。

(振り返ってみると、私自身の要領が悪くてつぼねーずに迷惑をかけていた面も

あったが、それを差し引きしても酷かったように思う)

 

この当時、毎日本当にやるせない気持ちで、胃がずっと痛んだ。

母は私の話を聞いて、会社はいつ辞めたっていいよ、と言ってくれて

それにどれだけ救われたかわからないし、

胃が痛むのを気遣って、ご飯はやわらかく炊いて消化しやすいようにして

食べやすくおにぎりにしてくれていた。

 

しかし、そんな日々から私は奇跡的に脱した。

何とか少しづつ成長することで、つぼねっちを1人陥落させることに成功したのだ。

1人陥落できたことがとても大きくて、

他のつぼねっちの態度の軟化に繋がった。

これが出来ていなかったら、まず間違いなく1年目で辞めていたと思う。

 

難攻不落のダンジョンで生き延びし者として、密かに他部署からの尊敬を集めながら、

2年、3年、…とやってこられた。

(途中、いくら陥落させたとは言えつぼねーずの根本的な性格が変わっている訳では

ないので定期的に嫌がらせをされたり、裏切られたりはした)

 

そんな日々を支えてくれた母が定年を迎え、

「今までなかなか作る余裕なかったから、お弁当作るわ!」

と、お弁当を持たせてくれるようになった。

 

つぼねーずが辞めさせるせいで、部署は慢性的に人手不足で忙しい日々だったし

嫌がらせもあるし、で毎日げんなりだったけれど

私を元気づけようと、母はあの手この手でお弁当を彩ってくれて、

いつの間にか、地獄だった昼休憩は励みに変わっていった。

 

そうこうしているうちに時は流れて昨年末、私は結婚することになった。

別に、結婚しても仕事は続けられるけど、

もう、いいや。と思った。

得たものも沢山あったけど、結局私は最後までつぼねーずを尊敬出来なかった。

ここで辞めても後悔はない、と。

 

辞めようと思う、と母に言うと

「私は1年目で辞めると思ってた。本当によくがんばったね。」

と労ってくれた。

思えば、苦しい日々に母の色んな支えが無ければ、私は簡単に折れていただろう。

ここまで辞めずに来れたのは、母のおかげだ。

 

退職届を会社に出してから、

意外につぼねーずにいびられなくて拍子抜けしたが、

最終出社日までの日々を坦坦と過ごした。

 

そして最後の日。

最後の日もいつも通りに出社して、いつも通りに仕事して、

いつも通りに昼休憩を迎えた。

母のお弁当。

母の定番おかずのソーセージ・たまご・きゅうりが入っている。

 

いざ食べようとして、

あ、これってもしかして、私が母に作ってもらう最後のお弁当じゃないか?

と気づいた。

今日の出社を終えたら、一週間後、私は家を出る。

誰もいないタイミングを見計らって、写真を撮った。

 

それから約4か月。

母に甘えっぱなしでほぼ料理したことがなかった私も

少しずつ出来ることが増えてきた。

 

来年の春には、私の作ったお弁当で

母と、夫と、三人でお花見がしたい。